栗田咲子展 2010
複数の場所、思い出や記憶をひとつの画面に描くことが多い栗田作品。
その組み合わせの不思議や、登場する人物(本人や友人)や動物の脱力さ加減に、思わず笑ったり引きこまれたり。
独特の感性で描かれた、ほかにはない栗田ワールドをお楽しみください。
今回は新作油彩画6点のほか、ドローイング数点を展示いたします。
(会期中、ギャラリーヒルゲートでのグループ展(26-31)にも出品、あわせてご高覧ください。)
栗田さんの絵は・・・!? !
証言A
「ほのぼのしてユニーク」
証言B
物語の多様性。そんなモノがあるのかしら。栗田咲子が描く絵の中でよじれるようにして現れてくる「物語り」生まれそうなものやもう絶滅したモノが重なりつつレーヤーに透けて見える。時間までが重なって。彼女自身も書いたときのことを憶えていないのかも知れない。見えないモノまで。つなげるもの
証言C
栗田咲子展、タイトルも楽しみのひとつ。言葉で作品を語ったとき、時代も一緒に切れてしまっているような。きっと、コピーライターとしても成功したに違いない
証言D
交錯するマルチな物語り。栗田咲子の油絵。底知れない言葉が隠れている。今回のテーマは。お八つの友?? なんだ
自画像
京都新聞10月30日
美術ページ
証言E
「気取ったところがないのが好き」
栗田咲子 2009年新作 菅谷猫と鶴見猫 130×80cm M60 ¥288,000(税込)
証言F
栗田咲子は、その絵の前から動けなくなる絵を描く。
証言G
栗田咲子の絵は、つながった、どこかの世界からのメッセージ。でも音量はそんなに大きくなくて、え、って。自分の聞き耳がどちらかが分かる
証言H
やぎさん。良かった。一枚のドローイングには、二つの月が描かれているやつ。
「1Q84」が書かれる前に。そのどこかへの入口のような動物は描かれた。
一枚の画用紙は平面なのに。
画家がそれに触れるとぽっかりと出口や入口ができはじめる。ふだんの脳ミソ回路は切断される
証言I
栗田咲子の絵は、恐い。
しかし、それを包み込んでいる何かはとても優しい。
なにか違うモノが飛び込んできている。だけどキャンバスの上では明確にならない。
訪れた想念が描かれずに、跡形を残している。
証言J
シューッウ、ひと筆が動くとき、はじめの力は栗田咲子が入れるんだけど。力を抜いているのは、はたして栗田咲子なんだろうか。初期の作品を見ていると、どうやら栗田咲子を道具にしている栗田咲子がいるように感じる
証言K
栗田咲子の絵は、一つの根っこから違う花を咲かす花を繋げるように物語る。ツナギノために筆が動いてゆくのだろうか。右と左とを繋げる。カンガルーとカンガルーの観ている世界を全く違う場所に、違う色を使って転送する。なんで、ここ? どうして、そこなの。なにが集まってきているのか。分からない継ぎ目を開いてみたい
青のカンガルー
青の神庭
青の空
雪が降ってる
証言L
油絵の具で日本の色を醸し出す。
証言M
ドローイングは、発想のシンプルスケッチか。新作ドローイング楽しみです
証言N
国立国際美術館、絵画の庭、そして一年。栗田咲子の新作楽しみ。亀が泳ぐ絵が好き
証言O
巨大トンボが粉々に、そんな案内状。栗田咲子作品の画面の中。果たして真実は。目にはいらないことは起こってないことに同じ。マスコミがなければね。自然界の必然は、中心部に生物としてのじぶんがいること。生物多様性・・・
証言P
ずっとイイと思ってた。安いときに買っとけば良かった
証言Q
もっといっぱいみたい作家さん。物語りに物語がインサートされてくる表現が
妙に迫ってくる
絵画の庭展(国立国際)の「飛鳥の棚」もう一度みたい。オレンジ色? 橙? とっても日本的な世界だった
朱鷺がいた?
小学校があった?
栗田的物語りワールドの集大成だったように思います。
栗田咲子 旧作 右端「ギタリーナ」は販売中
証言R
どこが好きか。よく分からないけど。見に来てしまいます。
証言S
描きたいモノが描けるようになってきたかな
証言T
色がきれいになった。やる気のない感じ(に見える)がなくなってきた。
証言U
期待を裏切られることがないなー。
証言V
「絵画の庭」で見て、気になって、カロンズネットで調べて名古屋から来ました。いままで絵画は見なかったんですが「絵画」いいですね
証言W
「ねずみ」今回も笑わせてもらいました。なんでって、聞いたらあかんのですよね、栗田さんのは
結界かもめ
栗田咲子展 2010 gallerymorningkyoto
今回の展覧会テーマ「お八つの友」